世界はひとつにならなくていい。
平日夜のお供、東京MXのバラいろダンディの司会者・長谷川さんの記事。
連日SNSやTwitterで繰り広げられる「パリの同時多発テロに際してアイコン画像をトリコロールにするのはけしからん!」派と「いや、やらない善よりやる偽善!」派による主張や叫びの嵐。
たしかに、
「自分の偽善を開き直るぐらいなら、毎日頭使って少しずつ本当の善人を目指せよ…」
「パリでの死傷者数およそ130名よりも、まず自分らの住んでるこの国の年間自殺者数およそ3万人(ただし警察側がいちいち数えるのを面倒臭がっているので実際は10万人を余裕で超えている)の方が重大だろ…」
と個人的には思います。
人それぞれ世界平和への想いがあるんでしょうけど、考えてみてくださいよ。
みんな戦争のない平和な日々を願っているはずなのに、いつのまにかアイコン画像のトリコロール化賛成派と反対派で争っちゃってるじゃないですか。なに戦いの火種おこしちゃってるんですか。
そして本質に迫れば、「いつの間にか争わされている」。「いつの間にか良くない事に加担させられている」というのがより正確でしょうか。
少し前に流行ったLGBTレインボー祭もそうですが、長谷川さんの記事でもテーマになっているアイコン画像のカラー変更というのは、SNS運営者側による「いま世界はどれだけひとつになっているのか?」の度合いを測るテストの一環なんじゃないかと思います。
「国境・言語・人種の壁を超え、どれだけ世界中の人々が同じ問題意識を共有出来ているか?」
「何かひとつのテーマに対し世界中の大衆がどれだけ共通の反応や行動を示せているか?」
………世界から国境を無くそうとしている連中は、そういう事を知りたいわけです。
昔から白人や黒人、アジア人の子供たちが丸い地球の上で手を繋いでるイラストなんかを見せられて、さも「世界がひとつになるのは良い事」だと錯覚させられていますが、
もし国境が無くなり世界がひとつになったとして、その次に来るのは間違いなく「この地球は誰が支配するか」という覇権争いですよ。
つまり“世界征服”問題です。
それに気づかれないよう、ドラクエだったり色々なアニメだったりで魔王や悪の組織がさんざん「目指すは世界征服だ!ガハハハハハ」と声高らかにしてきたのではないでしょうか。
現実で起きている事をフィクションだと錯覚させる役割が、ドラクエや色々なアニメだったのではないでしょうか。
人が本当に善い事をしようとすると、まず自分自身の体力・精神・金銭・時間などを犠牲にする勇気が要ります。
でも「忙しい」「お金と時間に余裕が無い」「そもそもあんまし人が好きじゃない」などの理由によって、なかなか善い行いも出来ない。モヤモヤする。テロが起きた地域へすぐさま飛んで、負傷者をケアする事も出来ない。
それでも、普通の人なら誰だって少しでも善人でありたいと願うため、現代においてはなるべく負担のかからない形で人は善を行おうとするわけです。
たとえば、画面のボタンクリックひとつで済ませられるような……