“意識が高い”問題はそろそろ終わらせよう。
“意識が高い”というのはおもにビジネス本やセミナー中毒による酩酊状態のようなものなので、それは傍からするとアル中・ヤク中の人間を見ているようで困惑してしまう。
「○○さん、何だか急に変わったな……」と。
グループ内の同僚からすれば今ある現状を無理やり変えられたくない気持ちもあるだろうし、「俺(私)もこの現状を変えよう!」という納得が心の中で生まれなければ自ら動かない。
つまり、“意識が高い”と揶揄される人の大半は「身につけたテクニックを自分の属するグループ内に合った形へアレンジする」応用力に欠けている。
自分がどんなに高価で頑丈で香りの良い木材を持っていようと、その場のニーズに合わせて「割り箸」「椅子」「薪」といった形に変えてあげないと喜ばれない。
そのため、グループ内の現状を把握せず、根拠も筋立てもないポジティブ思考を広めようとしても、まるで「オーディションで自分だけ目立って他人を出し抜こう」というスタイルとして周りを警戒させてしまう。
成功者の思考だろうと悪の心理学だろうと、そういうテクニックを有効活用したいなら、まず周りにいる人たちと話してグループ内の全体像を掴んでから実行するなり保留するなり、だと思う。
“意識が高い”人には、組織や世の中の未来を想う心の持ち主が少なからずいるのはわかる。
「何も変えたくない」人が誰かを救うために読書や自分磨きに時間を割くわけがない。
ただ「何でも俯瞰して見ろ」というニュアンスの文言はほとんどのビジネス本に出てくるのだから、まずそれは自分に出来ているだろうか?という部分から自問していくと頭の中や人間関係を整理しやすいのではないだろうか。
【アドバイス】
あなたは勉強中に仕事仲間の顔が頭に浮かんでいるだろうか?