社会人5年目にして気づいた、SPIがなかなか侮れない代物である話
SPIの問題を解くのにハマっている。
ジントニックと麻雀しか知らなかった大学生が、初めて勉学の世界に目覚めるアレである。
きっかけは先日、自宅の本を整理していて見つけた問題集の黄ばんだページをパラパラめくっていた時だった。
社会人も5年やっていると、日常の中にすっかり『慢心』が漏れ出すようになった。自覚している・自覚していないにかかわらず。
慢心を感じた時は、葉隠や先人たちの遺した哲学を頼りに驕れる心を鎮めているが、ただマインド面の補修をしているだけでは「実益を出す」というビジネス面で後れをとる。
それはプログラミングスキルを義務教育化するような時代を見ていると痛感する。
心や情など、瞬時に数値化できないものは二の次となる。
欧米から吹いてくる風で、すっかり冷めた時代となってしまった。人情と資本主義の両立を叶えるにはどうすればよいのか。
そこでSPIである。
これはマインド=心ではなく、おもに情報処理=脳の力を鍛えるカリキュラムとなる。
今まで「難しいからムリ」「解き方なんて覚えてないよ」と逃げてきた数学の問題にあらためて頭を抱えているが、もう太刀打ち出来ないと思っていた怪物たちを解けるようになった時の感動は相変わらずたまらない。
………待てよ?
「困難を乗り越え続けて成長していく」。
このSPI、脳や情報処理の力だけでなくて『強い心』も手に入る、「挑戦者がひとつのサクセスストーリーを体験できる」ように構成されてんじゃなかろうか?
強敵だったドラクエ5のエスタークや、FF9のオズマをぶっ殺した時のような脳汁の噴き出方もたびたび感じる。その都度レベルが上がった合図だろうか。
敵を叩きのめし、敵がリングに崩れ落ちたのを見て「賞金を受け取れる」と確信したボクサーも、毎度こんな感覚なのだろうなと思う。
『強い心』の持ち主は、他人を思いやれる余裕も持っている。
『SPI』はSynthetic Personality Inventory(総合適性検査)の略となる。
某社が開発しただけあって、内容が洗練されている。
学生時代は煙たがっていたが、今ではその内容に感動すら覚える。
このカリキュラムを、就職活動の範囲に留めておくにはもったいなさ過ぎる。
ステマのような書き方だが、これに限っては個人的なフツマ(普通にステマしたい)である。
いまSPIの解き直しで脳と心をメンテナンスしておくか、このまま流されるように30代を迎え、「酒」「パイオツ」「胃潰瘍」というSPIにとことん溺れるか。
……いや、パイオツぐらいは妥協しておくか。。。